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黒田官兵衛について

前回に続いて黒田官兵衛についてです。
来年から始まるNHK大河ドラマの予備知識として、黒田官兵衛についてもっと詳しく知っておこうと思います。
wikipediaの情報を中心に簡単にまとめてみました。

・wikipediaで「黒田官兵衛」で検索すると「黒田孝高」と言う名前で出てきます。
一般に知られる「黒田官兵衛」の「官兵衛」は通称名、「黒田如水」の「如水)」は出家後の名前。
・竹中半兵衛と双璧をなす秀吉の参謀であった。
・天文15年(1546年)、黒田職隆の嫡男として姫路に生まれる。
・黒田家は、祖父・黒田重隆の代に備前国邑久郡福岡村(現在の岡山県)から播磨国に入った。
・高松城攻めの最中、本能寺の変が起こった。変を知った孝高は秀吉に対して、毛利輝元と和睦して光秀を討つように献策し、中国大返しを成功させたと言われる。
・数々の戦勝に貢献した・・・
・慶長9年3月20日(1604年4月19日)、京都伏見藩邸にて死去。59歳。
・加古川出身の光(てる)姫と結婚し、子には黒田長政がいる。
・子の黒田長政は関ヶ原の戦いでは東軍で戦い、家康から一番の功労者として筑前名島(福岡)に52万3千石を与えられた。


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